美肌革命4 日本での化粧初めは? – 美肌革命!最新情報。

美肌革命4 日本での化粧初めは?

化粧品の豆知識

美肌革命シリーズから化粧品の豆知識をご提出していきたいと思います。

日本の化粧の歴史

日本でも旧石器時代末期にベンガラが付着した人骨が発掘されています。また、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)でも「朱丹を以ってその身体に塗る」という記述があり、弥生時代に「赤の化粧」がされていたことがわかります。

奈良時代に中国から紅が紹介されて赤の化粧は盛んになって行きます。紅はキク科のアザミに似た黄色い花.紅花から抽出した染料で原産地はエジプトです。紅は高価で「紅一匁(もんめ)、金一匁」といわれていました。

「白の化粧」も古くからあり、軽粉(塩化第一水銀)や鉛白(塩基性炭酸鉛)が7世紀頃中国から紹介され、元興寺の僧勧成が鉛白を作って持統天皇に献上したことが記録に残っています。

白は清潔、純白、純潔などを表し、誰の目にも美しく映(は)えたため、白色顔料を塗る化粧は洋の東西を問わず行われていました。「黒の化粧」というものもありました。お歯黒と眉墨です。魏志倭人伝に「黒歯国、東海中にあり」とあるように中国にはこの風習はありませんでした。

お歯黒は鉄とタンニンが反応したタンニン酸第二鉄です。眉墨は眉毛を毛抜きで抜いて整え、墨を塗ったものです。黒の化粧は漆黒の髪と白の化粧との調和の上に発達したものと考えられています。

日本では身体の衛生は神道の禊(みそぎ)や仏教でも推奨され、祭事にはメーキャップ的な化粧の風習あったことから、近世まで化粧に対する宗教的な抑圧がありませんでした。室町時代後半から香料と石鹸という南蛮文化が入ってきます。

化粧の技術が大きく発展したのは江戸時代です。洗顔用の糠(ぬか)袋や和製化粧水などが売られていました。白粉や口紅といったメーキャップが特権階級から庶民の習慣へ広がっていったのもこの時代です。

スキンケア的な化粧はメーキャップの下準備を意味する「化粧下」という言葉が使われています。明治時代には化粧行為も西洋化し、安全性の高い無鉛白粉が発売され、徐々にスキンケアとメーキャップが分化していきます。(化粧品の本、福井寛著書参照)

 

美肌Dr. Dan
美肌Dr. Dan

日本の化粧の歴史でした。

今回のポイントは、

◎ベンガラを使用していた旧石器時代末期。

◎「赤の化粧」、「白の化粧」と「黒の化粧」があった。

◎明治時代、徐々にスキンケアとメーキャップが分化。

 

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